清水巴川上流は瓦の一大産地だった。
明治の頃から昭和40年代頃まで、清水区渋川・高橋・大内新田・能島辺りは良質の粘土が産出して「清水瓦」の一大産地でした。瓦を積んだ船が巴川を下り清水港から東京方面に出荷していました。今では清水瓦を焼く窯は無くなり、三河地方の大量生産のメーカーから静岡の需要をまかなっています。
今年、清水次郎長の生家の改修工事で「清水瓦」に再び光が当てられました。※一部静岡新聞の記事より
次郎長の生家です。
2017-04-17 | カテゴリー:清水瓦葺工事組合